カンカンと靴底で音をたてながら万事屋へと続く階段を登る。いつもよりやや遅いリズムは、足取りの重さを表していた。照りつける太陽は足元に濃い陰を作りだし、その影の中に額からぽたりと汗の雫が落ちる。 「帰ったぞー」 ガラリと玄関の戸を引き開けて、家の中へと声をかける。覇気のない声は概ねいつも通り。今日はそれにプラスしてはぁと重いため息が落ちた。 まったくついていない。今朝家を出た時はこんなはずではなかったのだ。結野アナの占いだって悪くはなかった。それなのに、有り金掴んで挑んだパチンコ屋で、まさか全額持って行かれてしまうなんて。 「今日はイケる気がしたんだけどなぁ。ったく、あいつらにバレたらなんて言われるか……」 ぶつぶつとこぼしながらブーツを脱ぎすてたところで、銀時は三和土に見慣れない草履があるのに気が付いた。女性物の草履が二足、綺麗にそろえて置かれている。 「誰か来てんのか?」 仕事の依頼人だろうか。だとしたらありがたい。なにせ全ての生活費を使い切ってしまったところなのだ。 手付金か、依頼料を前払いしてくれるような気前のいい客だといい。そんな都合のいいことを思いながら応接室へと向かうと、部屋の中からは賑やかな話し声が漏れ聞こえてきた。その聞きなれた声から、中にいる面子の見当がつく。残念ながら、客ではなかったようだ。 部屋の戸を開くと、そこには予想していた通りの面々が揃っていた。 銀ちゃんおかえり。おかえりなさい。お邪魔してます。かけられた声は、すべて銀時の耳を素通りしていった。目に飛び込んできたものに、銀時は目を瞠る。 そこにいたのは神楽と新八、それにお妙と桂――いや、ヅラ子だった。 「邪魔しているぞ」 銀時を見てそう言ったヅラ子は、神楽、新八、お妙に囲まれてソファに座っていた。声が聞こえていたので居るのは分かっていたし、今夜の晩飯の算段が付いたとも思っていた。 桂の女装は今更つっこむほどのことでもない。玄関にあったのが女物の草履だった時点で予想もついていた。濃紺の涼やかな女物の着物は、銀時も何度か見たことのあるもので、玄人めいた化粧もいつも通り。ただ一点、いつもと様子が違っていたのは、その髪型だった。 「お前、何その頭?」 桂がいつも片側に流してまとめている長い黒髪は、今は頭の両側の高い位置で結ばれ、まるで虫の触角のように左右に伸びている。しかも結び目には大ぶりのピンクのリボン。さらにその片側を、神楽が三つ編みにしているところだった。 あまりにも珍妙な髪型にあっけにとられていると、「ツインテールですよ。王道でしょう?」と新八が言う。 ツインテール。それは見れば分かるけれど、なぜ桂がいきなりそんな髪型になっているのかを知りたいわけで。 「何でいきなりイメチェン?お前それアイデンティティの喪失だよ?」 分かってんの、と眉を寄せる銀時に、お妙が「今みんなで桂さんに似合う髪型を考えていたんですよ」と説明した。 「似合う髪型って、ヅラはヅラでいいだろ。ヅラなんだから」 「ヅラじゃない桂だ……じゃないヅラ子だ」 「王道だけじゃ飽きられるアル、三つ編みアレンジで他とは違うところをアピールするネ」 神楽が編み終わった三つ編みのおかげで、桂の髪はより一段と触角っぽさを増していた。 「確かに斬新な髪型ね。でもこのセンスはアイドルっていうよりカエラやキャリーの系統よね。アイドルファンの男の人についてこれるかしら?」 銀さんどう思います?とお妙が銀時に意見を求める。 「どうって、アイドルオタクなんて保守派ばっかりなんだからカエラのセンスについて行けるわけねーだろ。…ていうか」 答えてから、そうじゃない、と思い直す。 「アイドルってどういうこと?」 さっきから引っかかっていた。嫌な予感がしつつ問えば、お妙は「かぶき町のご当地アイドルを作ろうと思って」と言った。 話は数時間前にさかのぼる。 かぶき町町内会会議所では、四天王(代理)による定例会議が行われていた。 極道者とオカマ達が勢ぞろいした室内にはピリピリとした空気が満ちている。部屋の半分以上を占めている猛者たちとは少し距離を置いて、会議の主役である4人の男女が膝を突き合わせて座っていた。 その前で、部屋の張りつめた空気に顔を強張らせた書記役の男が、ホワイトボードに震える文字で本日の会議テーマを書いていく。 本日の議題は、『かぶき町イメージアップ政策A』だった。 恐怖から四天王の誰とも目を合わせられない書記役が、会議を進めるために恐る恐る口を開く。 「え、えー……前回のご当地キャラは残念ながら失敗に終わったので、新たな作戦を……その、考えようかと……」 自身の役目をまっとうしようと頑張っていた男の声は、しかし黒駒の勝男から立ち上る怒気に気おされて尻すぼみに消えていった。 「何がご当地キャラや!」 勝男が怒声を上げながら立ち上がり、その迫力に書記がヒッと悲鳴を上げて後ずさる。 「このくそアマが人のことを陥れようとしただけやないか!」 「陥れようだなんて……ちょっとした手違いです」 詰め寄る勝男の剣幕に、お妙は平然とした顔で言い返す。勝男はさらに怒りをヒートアップさせた。 「どないな手違いでゆるキャラがあないなパクリキャラになるっちゅうねん!あれやったらまだ顎キャラの方がマシじゃ!」 「ちょっと、誰が顎よ」 顎キャラと言って指さされたアズミが凄む。 「そうですよ、勝男さんが顎は駄目だっていうからみんなで一生懸命考えたんですよ」 「しゃあしゃあとようそんな事言えるな!あないなヤバいもん人んちに送りつけよって。何がぶらっクマや。存在自体が真っ黒やないか」 「そう目くじらを立てずともよかろう。それに可愛かったではないか、ぶらっクマ」 「はぁ!?どこがやねん!」 割り込んできた声に反射的に怒鳴り返してから、勝男は声の主を振り返った。そこに座っていたのは四天王(代理)として集まっていた最後の一人。勝男はお登勢の代理人であるその人物の姿を、その時になって初めてちゃんと確認した。そしてぎょっとする。 「おい、見たことないねーちゃんが座っとる思たら、もしかして自分ねーちゃんやなしににーちゃんなんか?」 「にーちゃんではない、ヅラ子だ。今朝お登勢殿のところに寄ったら、銀時が捕まらぬから代わりにここに来るよう頼まれたのだ」 「さっきまで一緒に働いてたヅラ子とこんな所で再会するなんて思ってもみなかったわ」 あービックリした、とアズミが言う。 「働いとったってオカマバーでかいな。四天王の内二人がオカマやなんてバランス悪すぎや。そもそも四天王代理がそないにコロコロ変わってええわけないやろ」 「あら、パー子もヅラ子も同じようなもんよ」 「少なくとも会議をすっぽかす銀さんよりは、真面目に参加してくれるヅラ子さんの方が助かります」 そう言ってお妙とアズミが桂を容認するので、勝男は舌打ちした。3対1では分が悪いと、それ以上反論するのはやめて話を元に戻す。 「で、なんや、イメージアップやったか。またゴミ拾いでもしようっちゅーんか?やりたいなら好きにやりや」 そう言って、後は勝手にしろとばかりに会議の席から外れようとする。そのまま立ち去ろうとした勝男を、お妙が「じゃあ次はこういうのはどうですか?」と言って引き留めた。 仕方なく振り返ると、いつの間にか書記をしていた男の姿はそこには無く、代わりにホワイトボードの前でお妙がマジックを持ってその場を仕切っている 「ご当地アイドルを作るんです」 「ご当地アイドル?」 「ええ。地域密着型のアイドルです。グループの名前に地域名が入ってたり、自治体が地元アピールのためにアイドルを起用してたり。人気が出てテレビで活躍するグループもありますよ」 「なるほどAKBみたいなもんね!それいいわ!アキバみたいに若い子のイメージも良くなるんじゃない?」 あずみがいいアイデアね、と賛同する。それと対照的に、勝男はアホらしい、と目を眇めた。 「なにがアイドルや。こんな薄汚れた町からともちんやあっちゃんが出てくるかいな。ええとこ壇蜜しか生まれへん」 「あら、それならそれでいいじゃないですか。夜の町かぶき町らしくて」 「でもアイドルを作るって、オーディションでもするつもり?」 「したところで、誰がイメージ最悪の街の名前背負ったアイドルになりたい思うねん」 「そうよねぇ。この街は“清純”とか“さわやか”とはかけ離れたイメージだものねぇ」 はぁ〜とあずみがため息を吐く。確かに「住みたくない街」「恐そうな街」「イケてない街」と最悪な印象だ。だからこそアイドルを作って親近感を持ってもらおうとしているのだけれど。 「いいアイデアだと思ったんですけど。誰かやってくれそうな人いないかしら?」 「え、私?確かにお店のステージには毎日立ってるけどぉ」 「アホかお笑い芸人選んどるんとちゃうわ。フランスパンの出る幕やない」 「フランスパンじゃねぇよ!それにオネエだってアンタが思ってるより世間に受け入れられてるんだから!少なくともアンタら極道者よりはアイドルの資格アリよ!」 「わしらはアイドルやりたいなんぞ言うてないわ!そやけどこれ以上この街に顎のイメージ植えつけるんやったら、わしらはこの街守るために邪魔さしてもらう。次郎長が帰ってきたときに街中顎のポスターだらけやったりしたらわしゃオジキに顔向けできんからな」 そんな風に喧々諤々、会議は紛糾した。その結果―― 「俺がご当地アイドルに就任したというわけだ」 「なんでだよ!全然わかんねぇよ!肝心のところがまるっきり抜けてんだろうが!」 「色々あったのだ。俺だって本当は人妻と未亡人を集めたNTR48の方がよいと言ったのだが却下されてな……」 「あたりめーだろうが!」 桂に聞いても埒が明かない。 「なんでこんなバカ選んだんだよ!」 「だってヅラ子さんなら、かぶき町のイメージである水商売と危険さを併せ持ってるじゃないですか。だから適任かと思って」 「適任って……」 正気かよ、とお妙を見るが、その顔は冗談を言っているようには見えず、本気でご当地アイドルプロジェクトを進めようとしているようだった。 「ていうか、いつもならお前の方がそういうのやりたがるんじゃねーの?」 神楽とお通がユニットを組む時もどさくさに紛れて参加してきた程で、こんな役を人に譲るのは意外だった。 「だって私も神楽ちゃんも、HDZ48の一員ですもの。一時期とはいえメジャーで活躍した私達が今更ご当地アイドルなんてやったら、落ちぶれたって印象になるじゃないですか」 「だからってなんでヅラ?薹が立ち過ぎだろ。アイドルって年かよ」 「銀さん、つっこむのそこですか?」 ぼそりと新八がツッコむ隣で神楽が「しょうがないアル」と呆れたような、冷めた目をする。 「……なんだよ?」 そんな反応をされる心当たりは無い。 「べつに。何でもないネ」 「やはりこの年でアイドルは無理があるか」 「大丈夫アル。お前ならやれるネ!」 「そうか、リーダーに言われると自信が湧いてきた」 「ご当地アイドルの星になるアル!」 「はい!」 「くそ、ノリノリじゃねーか!」 桂と神楽の熱血ごっこを見ながら、「ほら、この通り本人もやる気ですし」とお妙が言う。 「桂さんなら私の次くらいに美人だし、きっと人気が出ますよ。あ、それと、銀さんにはご当地アイドルのプロデュースをお願いしたいんです」 「は?何で俺が」 「この間もHDZのプロデューサーをやってたじゃないですか。お通ちゃんの事務所とも知り合いだし、顔も広いからちょうどいいと思って」 「やだ。だってこいつ絶対めんどくさいことになるもん」 経験上、碌なことにならない。そう思って銀時は断ろうとしたが、 「でも銀さん、これって仕事ですよ。断る余裕あるんですか?」と新八の現実的な言葉が突き刺さった。 「そういえば出かけるとき、今月の生活費全額持って行きましたよね?まさか全部使い込んじゃったりしてないですよね?」 その顔が、今の銀時に仕事を断る権利なんてないことを告げていた。 「……金は、でるんだろうな」 渋い顔で、銀時はお妙に確認する。 「もちろん、町内会からの依頼ですから」 それならば、引き受ける以外の選択肢は無かった。 なにせ財布はスッカラカンだ。やりたくないと突っぱねて桂を追い出すか、仕事を引き受けて当初の予定通り桂に晩飯を奢らせるか。天秤にかけるまでも無い。 桂と神楽はまだ楽しげに熱血アイドルごっこを繰り広げている。 「デビューしたいんだろう!立て、立つんだヅラ!」 「はいリーダー!」 「ったく、なんでお前そんな乗り気なんだよ」 銀時は諦めのため息を吐き、プロデューサーの役を引き受けることを決めたのだった。 |